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◆狂言コラム

 

狂言コラム① 
狂言は簡単に言うと、650年前のコント、お笑い劇です。しかし「狂言」という言葉を聞いて、良い印象を持たれる方は少ないと思います。狂言強盗、狂言誘拐、オレオレ詐欺なんかも「狂言」という言葉で形容されます。こんなネガティブな使われ方をする事が多いですよね。「狂言」という言葉の語源は、仏教用語の「狂言綺語」(きょうげんきご)から来ているそうです。意味するところは、飾り立てた言葉、道理に合わない物言い。やがてその言葉が、滑稽な物真似芸であった猿楽と結びつき「狂言」と言う呼び方が定着したとか。

 

 

狂言コラム② 
狂言(能楽)の歴史を説明する時に、先生方に倣って「約650年前の芸能です」とお話します。では「能楽」が始まった日は、具体的に「いつ」と考えれば良いのでしょう? やはりあの観阿弥・世阿弥親子が率いる「観世座」の演能を、室町幕府3代将軍・足利義満が見初めた日と考えるのが自然です。義満によって能楽が庇護され、やがて幕府の式楽にまでなるのですから。それは1374年(応安7年)、京都・今熊野神社での演能と伝わっていますので、始まりは、その日という事になります。とすると2015-1374=641年。おぉ、やっぱり約650年前でした。

 

 

狂言コラム③ 
狂言のあの特徴的な台詞回し。あれは「二文字上がり三段起こし」と呼ばれる発声の工夫なんです。元々能楽は野外で上演されていました。能楽堂の舞台に屋根が付いていますが、あれはその名残なんです。お相撲の土俵にも屋根が吊られていますが、同じことです。当時はマイクなんてありませんから、生の声だけで、遠くの人にまで台詞を届かせる工夫が必要でした。それがあの狂言独特の台詞の抑揚を生み出しなのでしょうね。

 

 

狂言コラム④ 
能や狂言で使われる扇の大きさは、一尺一寸のものが多いんです(流儀によって違いあり)。一尺一寸とは、十一寸(33.3cm)ですよね。「十一寸」を縦に組むと「寺」という字になるのです。諸説ありますが、これは能・狂言と神社仏閣との繋がりに由来するのではという説があるのです。面白いですね。

 

 

狂言コラム⑤ 
演劇の世界でもなんでも、良く腹から声を出せ!と言いますが、さてこの「腹」がどこにあるかと言うと意外と難しいのです。「腹」は「肚」とも書きます。「肚」という字は「月」(肉月)に「土」。この「土」は、中国五行思想 <木火土金水> の「土」から来ているそうです。土は東西南北の中心であり大地(黄土)を意味します。つまりこの「肚」という字は、身体の中心を意味しているワケです。古来より日本人は「肚を割って話す」「肚を決める」など、肚に心を写し、心身の中心に位置づけて来ました。ですから武士は肚を切ったのです。この肚ですが「丹田」または「丹心」とも呼ばれ、臍下三寸の場所にあると言われます。以前、外国人の方と「能」のWSに参加した経験があるのですが、この「肚」「丹田」の場所を伝えることに先生方も苦労されていました。所謂「center of gravity」とは違うようです。しかし狂言には、この「肚」を意識する効率的な型「構え」があります。僕は以前しょっちゅう声を枯らしていましたが、狂言の発声が身に馴染んで来てからはすっかり医者いらずになってしまいました。未熟者ながらも、ようやく「肚から声を出す」が身に付きつつあるのかも知れません。善竹十郎先生曰く「肚が決まれば、身体で喋ることが出来る」です。

 

 

狂言コラム⑥
「笑う門には福来る」ではありませんが、最近の研究では「笑うこと」が身体の免疫機能を高めることに繋がると報告されているそうです。この笑い「嘘笑い」でも効果があるとか。つまり笑うという身体を作ることが大切なのでしょうね。すると狂言の代表的な感情表現「大笑い」は、効果絶大なのではないでしょうか。実は僕、狂言を始めてから、声が枯れにくくなった事の他に、もうひとつ感じていることがあるんです。それは「花粉症」の症状です。年々軽くなりまして、実は今、全く気にならないレベルです。もしかしたらこれも「笑い」の効果なのでしょうか。あ、全く根拠のない個人的見解です、あしからず(笑)

 

 

狂言コラム⑦ 
大蔵流・流儀の扇の模様は「霞に若松」です。長さは一尺一寸。僕らはこの扇でお稽古を付けて頂き、楽屋では袴に差します。舞台で使う扇には、金地と銀地のものがあります<模様・柄は様々>。主人や山伏など格の高い役の時は「金地」。太郎冠者など身分の低い役の時は「銀地」の扇を使います。この扇、舞台では盃になったり、鋸になったり、様々な使い方をされる舞台道具の代表格です。ですので落としたり、跨いだりすると、それはもう先生から雷が落ちます。先生曰く「道具を大切にしない者は道具に食われる」です。この世界の皆さんは本当に道具を大切にされています。素晴らしいですね。

 

 

狂言コラム⑧ 
意外と知られていないのですが「能楽」という言葉は、能・狂言の総称です。明治期以前は「猿楽」もしくは「申楽」と呼ばれていました。能と狂言は、云わば、一卵性双生児。能は「悲劇」、狂言は「喜劇」として、能楽の公演では交互に上演されます。これは陰陽思想からこのような上演形態になったとか。つまり悲劇の能を「陰」、喜劇の狂言を「陽」と考えての事でしょう。実は、この陰陽の法則、足の運びにも関係して来ます。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、数字にも陰陽があり、偶数は陰、奇数は陽と考えます。ですので暦でも、お目出度いお節句などは、全て「陽」の日ですよね。1/1、3/3、5/5、9/9など。そこで足の運びです。能も狂言も、基本、左足から一足目を運びます。ところが足の止めは、能と狂言で異なるのです。能は右足で終わり、狂言は左足で終わります。左足から数え「陰」の能は偶数歩で終わり「陽」の狂言は奇数歩で終わるからです。面白いですよね。

 

 

狂言コラム⑨ 
狂言のお稽古を受けていて感じるのは、日本人は「2軸」の動きなんだなぁという事です。僕は長らく居合を続けていましたが、これは武道も同じです。2軸の動きは、1軸のヒネリが生まれる動きと違って、身体に「面」が生まれるのが特徴のように思います。身体が面で使えると筋力ではなく「身体の使い方」で力点をコントロール出来るので、筋力がなくても効率的に動くことが出来ます。能楽の先生方がご高齢になられても現役でいられるのは、稽古で培われた足腰の強さとは別にこういった要素も含まれているのではないでしょうか。あと2軸の動きのメリットとして身体の「即時対応」が考えられます。つまり準備運動がなくても「動ける身体」であるという事です。仮に、侍の時代、急に現れた敵を前に、準備運動をしていなかったから不覚を取った! 能楽師が武家の式楽だった時代、急に舞えと仰せられても声も身体も動きませぬ! なんてことは言い訳になりませんものね。あ、これは全くの持論です(笑) でも実際、演劇の世界と違って、能楽の楽屋で発声練習やストレッチしている先生方はお見かけしません。能楽師の先生方の身体は常に戦闘態勢なのでは!?

 

 

狂言コラム⑩ 
狂言のみならず、和の声というのは本当に独特な響きがありますね。先日観た歌舞伎でも義太夫の声の迫力は凄かった。前傾姿勢から絞り出すように発する声! あの息の詰め方は到底真似できる物ではありません。僕のイメージする和の声というのは云わば「のむ声」です。息を飲みながら回し、胸腔や鼻腔で響きを生み出す感覚。能楽も歌舞伎も義太夫も長唄も、響きの違いこそあれ息遣いには共通したものを感じます。加えて僕が声を出す時に意識するのが喉仏の位置です。喉仏は声の高低により上下しますが、この喉仏が上がり切ってしまうと声はドンドン苦しくなって来ます。声が細かったり、低音が苦手の方は、大抵この喉仏が上がり傾向にあります。誤解を恐れずに言うならば、この喉仏を出来るだけ下げた状態で声をコントロールすることが重要だと僕は思います。そうすることにより顎から喉にかけての空間が広がり、和の声ならではの響きが生まれます。僕も狂言で声を発する時は、喉仏に音を潜らせるイメージで発声します。時には指で喉仏を下げた状態に固定し発声練習をします。ただ実際には指で固定する訳には行きませんので、身体の使い方でこの状態をキープしなければなりません。そこに必要になってくるのが肚の支えなんですね。

 

 

狂言コラム⑪ 
能「忠度」についての小噺をひとつ。「忠度」と言えば、平忠盛の六男で「薩摩守」。この「薩摩守」とう言葉に「無賃乗車」の意味がある事をご存知ですか。狂言にも「薩摩守」というのがありまして、この「忠度」と掛けられています。こうです、忠度(ただのり)→ただ乗り→無賃乗車=「薩摩守」という事です(笑) 狂言にも登場するくらいの洒落なのですから、大昔から使われていた洒落のようですね。さすがに昨今耳にすることはありませんが、ちょっと覚えておくとネタに使えそうです。ちなみに「無賃乗車」のことを「キセル」と言います。これは何故かと言うと、キセルは両端の雁首と吸口にだけ金属(かね)を使い、その間は、金属(かね)を使っていないからとか。ホント昔の人の語感には頭が下がりますね。

 

 

狂言コラム⑫
「猿楽」という言葉の語源ついて面白い説を聞きました。現在「能楽」と総称される能・狂言ですが、これは明治期以降の呼び方で、それまでは「猿楽の能」「猿楽の狂言」と呼ばれていました。この「猿楽」という言葉には「去我苦」(さるがく)という意味が含まれているそうです。我の苦しみよ去れ。つまり申楽に親しむことで、苦しみを忘れる、魔を祓う、そういう意味が込められているのでしょうか。申楽と信仰の関係を匂わせる興味深い説だと思いました。狂言の笑いにも魔除けの精神を感じますしね。

 

 

狂言コラム⑬
謡いのお稽古の時に使う「見台」。和式の譜面台みたいなものですが、この見台の両側に「月」(七分月)と「瓢箪」の形がくり抜かれているんです(写真)
。実はこれ、声と呼吸のコツをイメージした形なんです。謡いは、瓢箪のようにお腹を膨らませて、口を締めて七八分目に謡いなさい、と言う意味が込められているそうです。現在は流儀によって様々な形が使われているようですが、観世流ではこの形のようです。善竹家にある見台もこの形でした。このデザインを考えた昔の人の感性って凄いと思いませんか。

 

 

狂言コラム⑭ 
俳優として、狂言の構えを教わって一番驚かされたのは「腹」の位置が明確にある事でした。俳優の訓練やボイストレーニングの際に「お腹から声を出して!」と随分言われたものです。しかし実のところ、その「腹」は漠然としており
大きな声を出す為のイメージでしかありませんでした。狂言の構えでは、膝を緩め、骨盤を地へ向け、胸を張ります。結果として「前傾姿勢」となります。この構えを取ることで、腹に空間が生まれ、上体の圧が腹に掛かるのです。この圧を支えるのが太ももです。この「構え」を体得した事で、僕は初めて身体の中心たる腹の場所、つまり「肚」の存在を意識的に知ることが出来ました。声の出処が分かってからの発声の進歩は自分でも驚く程でした。声に張りが生まれ、声枯れもなくなりました。元より「日本語」は、音声的に平べったく、顎を縦に使わなくても発音できてしまう言語です。つまり欧米の言語のように、顎を縦に使い、肚を使わなくても発音が出来てしまうのです。日本の発声訓練では「腹から声を出す」ことに念を入れますが、欧米の発声では、それは限りなく日常的なことなんですね。ここが日本人に「腹式呼吸」を意識させる上で非常に難しいところなんです。僕は若い頃、ボイストレーニングとして、イタリア歌曲を6年程学んでいましたが、その時の「肚」のイメージは、身体ではなく「音」に含まれているものでした。今思えばそれは「イタリア語」という言語性が、僕にそう感じさせたのではと思っています。しかし「狂言の構え」には、明確に「肚」を知覚させる、先人たちの知恵が詰まっています。これは過去の日本人が残してくれた究極の日本語発声法なのだと、そう思える程になりました。このワークショップでは、狂言の構え、足の運びから、この「肚」の位置を知覚し、自分の声の出処を知ることに力を入れています。「肚から声を出す」これこそが、声と身体のワークショップ「狂言処=う舞謡~」のスタート地点なんです。

 

 

狂言コラム⑮ 
狂言は「笑いの芸術」とも言われていますが、この「笑う」という感情には、実は凄いチカラが秘められているんです。なんと身体の免疫機能を向上させる事が近年の研究で明らかになっているとか。もっと言えば「NK細胞」というガン細胞などと戦う細胞が活性化されるのだそうです。狂言の代表的な感情表現と言えば「大笑い」。この「笑う」という行為、例え、嘘笑いであっても良いのだそうです。つまり心から笑おうが真似事で笑おうが「笑う」という行為自体が身体の免疫機能を高めてくれるのです。笑顔が一番という事ですね(笑)
そう考えると狂言WSなどで行う感情表現「大笑い」は打って付けですね。はち切れんばかりの笑顔で豪快に笑う「大笑い」。これをやると身体がスッキリするのは免疫向上から来る好転反応からかも知れません。

WSでもお稽古の最後は「大笑い」で目出度く笑い納めます。楽しんで頂くだけでなく、狂言の笑いが健康にも貢献することが出来ればこんな嬉しい事はありません。僕の師匠・善竹十郎先生はいつもニコニコして、ストレスをためない事を心掛けているそうです。舞台に立つという事は健康である事が何よりも大切なんですといつもおっしゃいます。笑う=免疫向上。「笑う門には福来る」と言いますが、それが医学的にも証明されたということですね。ビバ狂言!

 

 

狂言コラム⑯
狂言師には一定の段階毎に課題となる曲があります。「三番三」「那須」「釣狐」「花子」などです。それらの曲を初めて披露することを「披き」と呼びます。披きの時にはみんなでお祝いをし、そのお返しに配られるのが「披キの扇」なんです。扇のデザインには、曲や家の趣などの要素をベースに演者が決定するそうです。2015年、善竹徳一郎先生が「花子」をお披きになった時、僕も楽屋をお手伝いさせて頂きまして、披キの扇を頂きました。
花子の詞章「春の花、紅葉の秋、誰が思ひ寝となりぬらん」に倣い、桜と紅葉柄の美しい金地扇でした(写真)。扇だけにセンスを問われる、なんちゃって(笑)

 

狂言コラム⑰ 

間抜けな行動のことを指す「頓珍漢」。この語源に付いて、刀鍛冶の方から面白いお話を聞きました。鉄を槌で打つ時の音、トン・テン・カン。これが「頓珍漢」の語源なのだそうです。トン・テン・カン、とリズム良く打っている時、誰かが打ち損ね、トン、チ~ン、カン。この打ち損ねた響きを拾って、間が抜けたと言う意味の「頓珍漢」が生まれたとか。これとても狂言的な言葉の生まれ方だと思うんです。刀鍛冶を題材にした「頓珍漢」という狂言を書いてみようかな(笑)

 

狂言コラム⑱ 

能楽の世界では「出演料」とは言わず「出勤料」としてギャランティを頂きます。これは僕が狂言の世界に入って最初に驚いたことでした。俳優は「演ずる」ことに対価が発生し出演料となるわけですが、能楽の世界では「役を演ずる」とは言わず「役を勤める」と言われます。これは昔からの倣いで、根拠は定かではないそうなのですが、僕は武家の式楽であった頃の名残なのではと思っています。能楽師を召し抱えることが許された大名は10万石以上の大名に限られたそうです。となると能楽師を召し抱えることは大名にとってもひとつのステータス。能楽師にとっては仕官が叶うということになるわけです。もしかしたら、演じることが「生業」として成立した時「演ずる」は「勤める」になったのかも知れませんね。全く個人的な見解ですが「出勤料」という言葉には、そういった背景を感じます。

 

狂言コラム⑲

少人数ながら「狂言処=う舞謡~」お稽古を重ねております。5月に入ってから狂言「柿山伏」の名ノリの台詞をワークに加え、言葉と呼吸の連動をもう少し深く探っています。狂言独特の台詞回し「2文字上がり3段起こし」は、2文字目を上げることより、1文字目を「下げる」ことが重要です。これはトランポリンと同じ原理で、声を遠くへ飛ばす為には、一度、しっかり下へと向かう力が必要だからです。そしてこの「下」へのベクトルが「肚」を獲得する事へと繋がります。声が響かない、声が細い、声が小さい、こういう人の大半はこの「下へと向かうベクトル」を持たないまま声を出しています。狂言にある様々な「型」は、日本人が本来持っている「声」や「身体」へと導くプログラムのようだと最近つくづく感じます。中世の芸能者が現代に残してくれた声と身体のメソッド。紐解けば解くほど古の日本人の身体に驚くばかりです。

 

狂言コラム⑳

俳優(はいゆう)は、古くは俳優(わざおぎ)と呼ばれていました。つまり神を招(お)ぐ態(わざ)を持った人のことです。俳優は「人に非ず、人を憂う」と書きますが、これは正に、神の目線であると、僕は考えています。俳優とは、ある種の憑依性、依り代、そういう肉体を持った人の事なのではないでしょうか。狂言(能楽)には、日本人が持つ、根源的な声と身体の運用方法が残されています。姿は彫像の如く正中に立ち、声は神の如く心を震わす。この古の芸能者が残した、素晴らしい遺産を、日本人が持っている素晴らしいDNAを、日本に生まれた俳優として、獲得を目指し、精進したい。僕は、狂言の家に生まれた人間ではありませんが、狂言を紐解けば紐解くほど、狂言の持つ声と身体に、その大らかな芸風に感動するばかりです。

 

狂言コラム㉑

呼吸ということについて書きます。いわゆる腹式呼吸。腹に空気を入れるイメージで大隔膜を下げ、息の重心を下げる呼吸法です。腹に息を入れると、最初は腹が膨らみ、脇腹が膨らみ、もっと吸い続けると、腹が凹んで行きます。これが一般的な呼吸のメカニズムです。以前にも(狂言コラム⑬)書いたかも知れませんが、僕らの世界には「呼吸」に付いてシンボリックな「形」があります。それが「七分月」と「瓢箪」です。よく見台の両側にくり抜かれています。これは和の呼吸である「詰め」と「開き」に関係していると思われるのですが、簡単に言えば、過度な呼吸の開放を戒める為の形です。僕はこのところ「瓢箪」という形に付いて、色々と考えるところがあります。この3週間ほど、肉離れの為、身体に支障をきたしていたのですが、痛みで足の踏ん張りが利かない為、呼吸が浅くなり舞台を勤めるのに難儀しておりました・・・どうにかもっと深い呼吸が出来ないだろうかと、色々と呼吸を工夫していたのですが、ある時、スッと、もうひとつ別の肚に息が入ったのです。オヤッと思いました。まるで肚が二段に膨らんだような感覚で。そのイメージはまるで「瓢箪」でした。この感覚を掴んでからは、足の踏ん張りが利かなくても、声が安定して張れるようになりました。肚の底のもうひとつ下にあった肚。まさに「別腹」です。この感覚を得た時、瓢箪という形が僕の中でもうひとつ別の意味を持ちました。瓢箪にある二つの膨らみは「2つの肚」なのではないか。もしくは元来、瓢箪が指し示していたのは、この「別腹」の事なのではないか。まだ開発段階ではありますが、僕は今「腹式呼吸」から「複式呼吸」への感覚を高めているところです。瓢箪が教えてくれた「2つの肚」。和の声・和の身体には、まだまだ色んな発見がありそうです。

狂言コラム㉒ 

帰省の折、高千穂まで足を伸ばし「天岩戸神社」に参拝して参りました。神域をご神職にご案内頂き、遠目ながら天岩戸(あまのいわと)を見せて頂きました。神話の時代、弟である須佐之男命(すさのをのみこと)の乱暴狼藉を嘆き悲しんだ姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、天岩戸にお隠れになりました。太陽神である天照が隠れてしまった為、地上は暗黒となってしまいます。作物は実らず病気が流行りました。そこで八百萬の神様は、天安河原(あまのやすがわら)に集まり話し合いをし、天岩戸の前で儀式を行います。天鈿女命(あめのうずめのみこと)が招霊(おがたま)の枝を手に舞を舞われ、神々が囃し立てると、天照大御神は不思議に思われて、天岩戸を少し開けて外を御覧になりました。その時、手力男命(たじからをのみこと)が岩戸を開け放ち、天照大御神に出て来て頂くことが出来ました・・・この時の天鈿女命の舞が芸能の起源とも言われています。ここまでは僕も知っていたのですが、その岩戸がどこに飛んで行ったかまでは知りませんでした。手力男命が放り投げた岩戸は日本の真ん中まで飛んで行き、現在の長野県「戸隠」に落ちたそうです。宮崎から長野まで・・・手力男命の怪力に驚くばかりですが、腑に落ちたのは「戸隠」という地名です。なるほど~ですよね。この岩戸が落ちて出来た山が「戸隠山」。現在そこには「戸隠神社」があり、天岩戸開きの神事に関わった神々がご祭神として祀られているそうです。是非、戸隠神社にも行ってみたいですね。

狂言コラム㉓

学ぶは「真似ぶ」。狂言の世界ではひたすら師匠の真似をすることで稽古を進めて参ります。師匠の声と身体を鏡として、自分の鏡を磨いていくわけです。こうすることで「離見の見」が獲得されてゆくと教わります。実際の鏡に映る自分の姿を見るのではなく、師匠の姿を鏡(手本)とする。ですから稽古は常に1対1で行います。離見の見とは、自身の姿を客観的に見ることを意味すると同時に、常に自身の理想(師匠の姿)をそこに重ね、上を目指してゆくことでもあるのですね。それにしても狂言師の皆さんは幼い頃から「真似ぶ」を実践しているからでしょうか、物真似が上手な方が多いんですよ(笑)

 

狂言コラム㉔

今年(2016)の「中秋の名月」は、9月15日らしいですね。月と云えば、十五夜お月様見て跳ね~る♪ の兎ですね。実は狂言にも「うさぎ」という小舞があります。この詞章がなかなか面白いのです。「あの山からこの山へ、飛んで来たるは何猿ぞ。頭にフップとふたつ、細ふて長ふて、後へリンと跳ねたをチャッと推した。兎じゃ♪」まるで謎かけのようですね。

狂言コラム

大蔵流・和泉流ともに狂言の装束(肩衣など)には、蒲公英(たんぽぽ)の紋が染め抜かれています。あれは「雪輪に蒲公英」(ゆきわにたんぽぽ)と云われます。僕は狂言だけかと思っていたのですが、能五流にも使われているそうです。お稽古の際、善竹十郎先生に何故「蒲公英」なのかと聞いてみました。先ずこの蒲公英は、黄花の西洋蒲公英ではなく、白花の日本蒲公英。蒲公英には、解毒の作用があり、また食すことも出来る。蒲公英は風雪に耐え、地に深く根を張り、花を咲かせる。その強さ逞しさ美しさから、能楽紋として「蒲公英」が使われるようになったそうです。かなり古くから使われている紋だとか。能狂言には、芸が正当に評価されず大変苦しい時代もあったと聞きます。先生のお話を聞き、先人の方々がこの現代まで継承して来た「能楽」という芸能の強さと逞しさに身が引き締まる思いでした。こうやって舞台に立たせて頂ける事が如何に幸せなことなのか・・これからは装束を‌着ける時、そういう思いも一緒に身に纏いたいものです。

狂言コラム㉖ 

式能(2017)「翁」で、善竹十郎師(大蔵流狂言方)が三番三(さんばそう)を舞われました。和泉流では「三番叟」と書きます。何故、和泉と大蔵で表記が違うのか? これは昔、都で疫病が流行った際の祈祷が由縁となっています。疫病を祓う七日間の祈祷の儀が行われ、そこで舞われたのが「翁」でした。その時、三番叟を舞われたのが当時の大蔵流ご宗家です。儀式三日目、疫病はなくなり都は救われました。そこから「三」という数が大切にされ、大蔵流では「三番叟」→「三番三」と表記するようになったそうです。ちなみに「叟」という字はお爺さんという意味です。つまり三番三(三番叟)は三番目のお爺さん「黒式尉」(こくしきじょう)を指しているのです。では一番目と二番目は誰なのか? 二番目は「翁」のおシテ「白式尉」(はくしきじょう)です。この「尉」という字もお爺さんを意味します。そして一番目が「父尉」(ちちのじょう)です。この父尉は室町中期に廃絶されてしまい、現在の「翁」で登場することはありません。つまり現在の「翁」では、二番目と三番目のお爺さんしか登場しないのです。小書(特殊演出)に「父尉延命冠者」と付く場合のみ登場するそうですが殆ど見られません。面はネットで検索すればすぐにヒットしますが、白式黒式尉が垂れ目で優しいお顔なのに対し、父尉はキリッの目尻の吊り上がったお顔をしています。今回のおシテは宝生流のご宗家が勤められたのですが、実は流儀によっても狂言方の役割が異なるのです。観世・宝生流は「上掛かり」と呼ばれ。金春・金剛・喜多流は「下掛かり」と呼ばれます。これは当時の拠点に由来するとかしないとか・・上掛かりの流儀による「翁」では、翁と千歳はシテ方が勤め、面箱と三番三を狂言方が勤めます。下掛かりの流儀では、千歳(面箱と併役)も狂言方が勤めるのです。こういう違いを知っておくと面白いですよね。シテ方の見せ場の多い上掛かり、狂言方の見せ場の多い下掛かり、なんて見方も出来るかと思います。「喜びありや喜びありや、我がこの処より他へはやらじとぞ」。三番三の舞は「揉之段」に始まり、大地の神への感謝と共に、強い足拍子で地を踏み固めて行きます。黒式尉を付けての「鈴之段」では、実りの象徴である鈴を鳴らしながら、種を蒔くかのような動きで祈りを捧げます。正に五穀豊穣の舞なのですね。昔は三番三を勤める前は、別火精進潔斎をやっていたそうです。

狂言コラム㉗ 能舞台奥の鏡板に描かれている松。あれを「影向之松」と言います。影向(ようごう)とは、神仏が仮の姿となってこの世に現れること。この松は、奈良春日大社にある影向之松(現在は後継樹)を写したものだと伝えられています。遥か昔、春日大明神が降臨され、萬歳楽を舞われたと伝えられる松です。ちなみに歌舞伎舞台の羽目板は「松羽目」と呼ばれ「鏡板」とは言いません。実はこの鏡板の松、漢字の「久」という字を逆さにした形がデザインされているんです。もっと言えば、この影向之松の後ろから光が差した時、枝々の隙間から「久」という文字が浮かび上がるようにデザインされているそうです。久しいという言葉には、長い時間という意味があります。また松は常緑樹、常に青々とした姿から不老長寿の象徴でもあります。そこには絶えることなく、幾久しく能楽が続いていくよう願いが込められているのかも知れませんね。
 

狂言コラム㉘ GINZA-SIXにオープンした観世能楽堂に初出勤して参りました。日賀寿能と銘打たれました開場記念公演で、善竹十郎先生が「昆布売」のおシテを勤められました。僕はこの日賀寿能(ひかずのう)という言葉を初めて聞いたのですが、これはつまり「日数能」の事で、連続公演のことを指すのだそうです。つまり日数→日賀寿と字を目出度く当てているのですね。通常能楽は1日公演ですが、江戸時代、幕府に特別に許された連続興行を「日賀寿能」と呼んだそうです。と言っても演劇と違い演目は毎日違うので、同じ興行主による連続公演という意味なのでしょうね。それにしても新観世能楽堂。舞台は移築ですので松濤にあった時と姿は変わりませんが、まぁ楽屋のきれいな事きれいな事。とても機能的でコンパクトにまとまっていて、配慮が行き届いた楽屋でした。素晴らしい能楽堂です。

狂言コラム㉙ 舞台用語で上手下手と言えば、舞台正面に対して右手を上手(かみて)、左手を下手(しもて)と呼ぶことは、舞台人であれば誰もが知るところだと思います。では何故そのように呼ばれるようになったのか? 僕は漠然と舞台は南向きに作られており、日が昇る東を上手、沈む西を下手と考えるのだと思っておりました。ところが先生から面白いお話を聞きました。「舞台の上手下手の意味を考えたことがあるか?」と言うのです。僕は前述のように答えました。すると先生は「演者から見て左手が上手、右手が下手だな。左は=火足り(ひたり)であり、右は=水際(みぎわ)である。火は上へ立ち上り、水は高きところから低きところへ流れる。だから左(火足り)は上手であり、右(水際)は下手となる」と教えて下さいました。やはり陰陽なのですね。思えば柏手を打つ時も左手が上で右手が下になります。これも同じ考えが当てはまりますね。今日のお話を聞いて合点が行くことがありました。現在の能舞台の多くが南向きに作られていると聞きますので、あながち上手が東、下手が西という考え方も間違えではないのでしょうが。実は狂言小舞「暁の明星」では「西へちろり」で左に動き、「東へちろり」で右に動くのです。この方角だと舞台は北向きに作られなければならないのです。これが僕の長らくの疑問でした。今日の先生のお話を聞き、調べてみたのですが、15世紀くらいまでの能舞台は「天子は南面す」という考え方に基づき北向きに作られていたようです。これで「暁の明星」の動きにも整理が付きましたし、舞台の上手下手は東西南北ではなく、演者から見た左右、火足り(陽)・水際(陰)から起こったと知り、全てがすっきりしました。

狂言コラム㉚ 先生から「稽古」という言葉について教わりました。「稽古とは古(いにしえ)を稽える(かんがえる)という意味だ」。技を磨くには古くから伝わる道の型を習う。自分を型の中に放り込み、型通りに出来るように努める。同じことを何度も何度も繰り返す。その内に「型」に即しながらも型から離れた自分の芸を表現出来るようになる。漠然とそういう物だろうとは感じていましたが、こうやって師匠の言葉として聞かされるとやはりズシンと響く。型の反復の先にある自分の姿。その輝きを信じて精進するのみです。

狂言コラム㉛

型と形の違いは何か? 先生から面白いお話を聞かせて頂きました。「型そのものには意味はない。しかし型が集まってひとつの集合体になると形となり意味を持つ」。なるほど。僕らはお稽古で様々な型を習いますが、例えば「差す」という型も「開く」という型も「型」そのものは意味を持ちません。しかし例えばこれが謡いの中で行われ、様々な型が組み合わさり「舞」になると意味が生まれ「形」となる、という事でしょうか。形は型の集合体なのですね。変換する時に、これは型? これは形? と迷うことがありましたが、先生のお話を聞き頭がスッキリしました(笑)。

狂言コラム㉜

大きな声を出して!腹から声を出して!よく聞くフレーズではありますが、これは言うほど簡単なことではありません。無理に声を張り上げてしまうと喉を痛めてしまいます。僕が考える発声のメカニズムはこうです。例えば、ホースの口を摘まむと、水の量が同じでも、水は勢いよく遠くへ飛びます。それは口を摘まむことで、押し戻される水流と送られて来る水流がぶつかり「圧力」が生まれ、詰められた出口に向かって水が走るからです。この水を「息」に置き換えれば良いのです。これがホントの「水の呼吸」です、なんちゃって(笑)。呼吸を下腹に向かって吹き下ろし、詰め、開き、圧つ、の感覚をマスター出来れば「肚」が目覚めます。狂言処=う舞謡~のワークでは、喉を「支点」、肚を「力点」、声を「作用点」と考え、この3つの点から三角形をイメージし、声の響きを生み出します。それこそ僕が狂言師の身体から学び得た「肚から声を出す」です。今風に言えば、全集中 狂言の呼吸「詰め吹き」でしょうか(笑)

狂言コラム㉝

狂言の歩行(すり足)は、歩くとは言わず「運ぶ」と言います。歩くことと運ぶことは全く身体運用が違います。歩くことは地を蹴り進む力を得ますが、運ぶことは重心の移動で身体を進めるのです。よく摺り足の指導で「床を雑巾で拭くように」と言ったりするのですが、実はこれは正しくないのです。

狂言の構え

 

狂言の大笑い

大蔵流・流儀の扇(霞に若松)

見台(鎌倉能舞台様サイトより)

 

狂言の構え(横から)

善竹徳一郎師 花子披キの扇(桜)

善竹徳一郎師 花子披キの扇(紅葉)

 

天岩戸神社 御朱印

​雪に蒲公英(肩衣)

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