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​劇団大樹30周年記念公演、そして、最終公演。

劇団大樹 主宰 川野誠一

劇団大樹は1995年10月17日、今はなき銀座小劇場で11人のメンバーと共に旗揚げしました。あの年は本当に混乱の年でした・・阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。この年に起こった大きな災害と人災は、僕らの胸に、明日のことなんて分からない、人の命は不意に奪われてしまう・・そんな暗澹たる気持ちを植え付けました。そんな中、僕らは、伝えたい気持ちは、伝えられる内に伝えよう・・そんな思いを込めて「未来に賭ける」という作品を旗揚げ公演として世に送り出しました。あれから30年。当時のメンバーも僕一人となってしまいましたが、劇団大樹の看板と想いだけはずっと大切に抱えて来ました。

その後、
10周年記念公演「ポプコーンの降る街」
15周年記念公演「マダムグラッセ家」
20周年記念公演「灯屋・うまの骨」
25周年記念公演「半月カフェの出来事」コロナ緊急事態宣言で公演中止、翌年、再公演。

劇団大樹は、劇作家・み群杏子さんと出会い。また小劇場てあとるらぽう(現RouteTheater)の共催を得て、何とかコロナ禍を乗り越え、30周年という大節目迎えることが出来ました。ここにたどり着くまでに、どれほど多くの方のお力添えを頂いたことか・・本当に感謝しかありません。

でも、そんな長い旅路もここでお終いです。僕自身の生活環境の変化が一番大きいですが・・このコロナ後の世界で、自分が思い描く作品を創ることが難しくなってしまったことも大きな要因です。また僕の性格上、ここで続けてしまうとまた次の節目まで頑張ってしまって・・結果、自分の首を締めてしまうことは目に見えています。ここで1度キリを付け、今後の活動を見つめなおす必要がありました。

僕はこれまで劇場での公演にこだわって来ました。何もない空間に「物語の世界」を立ち上げ、花美術に生演奏。物語よりも世界を・・というコンセプトで「花と音楽で彩るみ群杏子の世界」を創り続けて来ました。何もない空間に「物語の世界」を立ち上げることは、小さな劇団にとって、大きなコストと負担があります。といって妥協を重ねチープな舞台空間で作品を上演することはしたくない・・そう考えると、この状況の中、今のスタイルで上演を続けて行くことには相当の無理があるのです。と言って、僕が演劇をやめるわけではありませんし、み群杏子さんの作品の上演をこれで最後にしょうとは思っていません。スタイルを変え、カフェやギャラリーや倉庫など、空間ありきで上演する手段はあるだろうと考えています。

今回のこの最終公演の為に、み群杏子さんが新作「クレマチスの小屋」を書いて下さいました。この物語を読んだ時、登場人物たちが、今の自分の場所から一歩踏み出し「新たな生き方」を見い出だそうとする姿に、ふと自分の姿を重ねていました。土の時代が終わり風の時代へと入ったこの世界・・今までの常識や価値観が大きく変化し「多様性」と言う言葉に象徴されるように、無理な協調ではなく、それぞれの営みを大切にし人と違う自分の生き方を肯定しょうという時代を迎えています。この「クレマチスの小屋」でも、主人公の2人は、最後それぞれの想いを抱えつつも、型にはまらない2人の在り方にそっと寄り添って生きます・・素敵だなぁと思うのです。そして不思議なことですが、そのラストの2人のイメージは旗揚げ公演「未来に賭ける」の恋人たち(光と恵利)と少し似ているように感じました。

劇団大樹は、1995年の「未来に賭ける」に始まり、2025年、この「クレマチスの小屋」で終幕を迎えます。当時23歳だった僕も今や53歳。アッという間の30年でした。本当に、本当にこれまで有り難うございました。劇団を応援して下さった全ての皆様に、これまで僕を支えてくれた家族に心からの感謝をし、この作品を上演します。

 

どうか劇団大樹の最後の姿を見届けて下さい。皆様と劇場でお会い出来ることを楽しみにしております。

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