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​ポプコーンの降る街、再演によせて

劇団大樹 主宰 川野誠一

戯曲「ポプコーンの降る街」は、劇作家・み群杏子さんが 1992年「文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作」を受賞した作品であり、これまで多くの劇団や演劇部によって上演されて来た み群杏子さんの代表作です。劇団大樹では2005年、劇団結成10周年記念公演として初演した思い入れのある作品です。この作品の上演以降、劇団大樹は「花と生演奏で彩るみ群杏子の世界」というコンセプトの元、ゲストミュージシャンによる“生演奏”と、華道家による“花美術”があしらわれた舞台空間で み群杏子作品の上演を続けています

 

私事ですが、この作品を初演した頃、僕は舞台で起こったアクシデントからメンタルを病んでしまい、ある種のスランプ状態でした。この当時を知る仲間は「川野はもう芝居をやめるだろう」と思っていたそうです。僕も半ば、もう舞台はいいやと諦めかけていたのですが、やはり劇団への思い入れは強く、どうせ自分に引導渡すなら劇団大樹をやってから散ろう、この公演が失敗したら潔く俳優をやめようと決意し、この「ポプコーンの降る街」の上演を決めたのです。

 

「ポプコーンの降る街」は、未練と思いやりの物語です。まだ見ぬ恋人に会いに向かう途中、不慮の事故で命を失ってしまった主人公・野放風太郎が、この世ともあの世ともつかぬ場所で、探偵となって恋人を探し続けている。そんな姿が、まだ劇団主宰として誇りに思えるような作品も残せず、俳優をやめようとしている自分の姿とどこか重なって見えました・・僕はまだ見つけていないじゃないか、本当に未練はないのか、と。劇中に印象的な台詞があります「誰かの夢の中だけで生きていたとして、それが、現実に存在する人間よりも、実体のないものだとどうして言える。誰かの強い意志の中で存在すれば、それは、死をも乗り越えられる」。当時、俳優として死に体となっていた僕に、この言葉は強烈に響きました。僕は現実の自分に絶望しながらも、意識の中では強烈に俳優に未練を抱えていました。その強烈な未練を舞台に立ち上げ、生き抜いたのが、この「ポプコーンの降る街」であり「野放風太郎」でした。

 

あの時「ポプコーンの降る街」を上演していなければ、僕はもう演劇の世界に居なかったかも知れません。そして有り難いことに、今や み群杏子さんは劇団大樹の看板作家、共に作品を創る仲間となって下さいました。初演時33歳だった僕も50歳を超え、俳優としての後半戦がスタート。そんな中、もう一度、今の自分の原点を確認しておきたい、もう一度、野放風太郎を生きてみたいと思うようになりました。そう考え始めたらもう頭の中は「ポプコーンの降る街」でいっぱいになりました。こんな舞台空間を作ってみたい、音楽はあの楽器で行こう、あの人と演ってみたい・・もう止まりません。そして演出は、やはりみ群さんの作品に心酔し上演を続けている、独騎の会の金沢まことさんにお願いをしました。劇団大樹で組むのは初めてですが、今からとても楽しみです。

 

昨年2023年は、僕にとって生涯忘れられない年となりました。本当に人生には思わぬことが起こります。絶望、傷心、孤独、未練・・今の自分の全てを抱えて、この作品を再び上演します。

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